私が小学校高学年の時に住んでいたアパートの近くに、中古の漫画を売るお店があった。私は、当時、そのお店の存在に全く気付いていなかったが、兄が見つけ出してきたのだ。私は兄と初めてそのお店に行った日のことを今でもよく覚えている。
それはスキー教室の帰りのことであった。当時、私は小学5年生、兄は中学2年生であったが、私も兄もそれまでスキーをやったことがなく、学校の体育の時間にスキーがあるから前もって習っておいたほうがいいと親に言われて、私と兄は休みの日にスキー教室に通うことになった。このため、休日になると、兄と一緒にバスに乗ってスキー場まで行き、スキー教室に参加した。しかし、当然うまく滑ることなんてできないし、初心者なのに講師から滑り方を丁寧に教えてもらうということもなかった。まず午前に2時間くらい練習があり、昼休憩をはさんで午後からもまた2時間くらい練習があった。私はこのスキー教室が苦痛で仕方なかった。多分、兄も同じ気持ちだったと思う。スキー教室が終わって帰りのバスに乗ることがとにかく待ち遠しかった。
その日もようやくスキー教室が終わり、自宅近くのバス停でバスを降りると、兄が私に「家の近くに中古の漫画を売っているお店を見つけたから行ってみないか。」と誘ってきた。私はこの突然の申出に少し驚いて、ただ「うん」とうなづいた。それから、私と兄は、いったん家に戻り、物置にスキー板を乱雑に置いて、すぐお店へ向かった。私は場所を知らないのでただ兄に付いていったのだが、気分がとても高揚しているのが自分でもわかった。
店の前に着き、透明なガラスの引き戸を開けると、中はとてもほこりっぽく、雑然と古い漫画が本棚に並べてあった。店内には1匹の黒猫がおり、本棚の間を縦横無尽に飛び回っていた。このため、漫画には猫の毛が付いていたり、ページの間に猫の毛が挟まっているということもあった。今から考えれば、ほかの古本屋に比べて漫画の保存状態は最悪の部類だったが、私はその時初めて古本の漫画を売っているお店に入ったので、中古だからこんなものなのだろうと思っていた。
そして、私はそこで初めて自分のお小遣いで漫画を買った。記念すべき人生で最初に買った漫画は「ドラえもん」の第1巻であった。兄もそこで何かの漫画を1冊買っていた。そして、私と兄は、買った古本の漫画をそれぞれ小脇に抱えて、興奮冷めやらぬままそのお店を出た。
午前、午後とスキー教室があり、とても辛い1日だったが、この出来事のおかげで幸福な1日に塗り変わったような気がした。人生では時々そういうことが起きる。暗闇を照らすその小さな光を探して私たちは人生を日々歩んでいる。たぶん兄も、苦しかった1日を楽しいことで紛らせたいと思って私を誘ったのだろう。店を出た私と兄は、辛かったスキー教室のことをすっかり忘れ、買った漫画のこと、お店の様子、そしてお店にいた黒い猫のことなどを夢中で話しながら帰路についた。

コメント