「あの頃~今は昔の物語~」とは

「あの頃~今は昔の物語~」は、私が過去に経験したエピソードを記録したブログ記事です。

昔起きた日々のちょっとした出来事を思い出すことが最近多くなりました。それは、私が40代に突入し、私の人生における未来の時間よりも過去の時間のほうが多くなってきたからなのだと思います。それで、浮かんでは消えていく記憶の断片をつかまえて、ブログの形にまとめてみることにしました。それが、「あの頃~今は昔の物語~」です。

私は、日本の片田舎で妻と子と3人でのほほんと暮らしている、どこにでもいる平凡な40代男性です。そんな人間の過去のエピソードなんて、他の人にとっては何の興味も引かれないものだろうと思います。それでも、自分の人生の歩みの中で起きた出来事群を、その時に考えたり感じたりしたこととともに、文字で記録しておくことは、少なくとも自分自身にとっては全く無意味なことではないような気がしました。

それをブログという形で一般に公開しようと思ったのは、1つにはそのほうが自分にとって張り合いが生まれ少しでも長く記録を続けることができると思ったからですが、もう1つには、仕事やプライベート等で多くの人と関わる中で、「誰もが自分だけの大切な人生を持っている」という当たり前の事実に直面する機会が多くあり、翻って、自分の現在進行中の人生も他の人と同じように大切なものであると気づいた時、自分のこれまでの生きてきた道程の中で起きた小さなエピソードも、他の人が生きるうえで全く無意味なものではないかもしれないと思ったためです。

過去のことを回想することは、世間では、必ずしも評判のよろしくない行為であるように思います。「過去のことにくよくよせずに、今を生きなさい。」とか「終わったことは取り返しがつかないのだから、前を向いて未来について考えなさい。」というようなことを私もどこかで聞いた覚えがあります。しかし、私自身は、過去のことを振り返る時間ほど貴重で贅沢な時間はないのではないかと思っています。

この点について、1世紀の古代ローマを生きた哲学者セネカは、「人生の短さについて」という作品の中で、以下のように述べています。

「過去というわれわれの時間の部分は、神聖で特別なものだ。それは、人間世界のあらゆる偶然性を超越し、運命の支配がおよばない。欠乏にも、恐怖にも、病気の襲撃にもさられない。かき乱されることも、奪い去らされることもありえない。過去は、なんの心配もなく、永遠に所有することができるのである。現在という時は、一日一日と移り変わり、また一日の中でも、刻一刻と移り変わっていく。これに対して、過去の日々は、あなたが命じれば、すべてが姿を現すだろう。あなたはそれを、意のままに、眺めることも、引き止めることもできる。だが、多忙な人間には、そんなことをする暇がない。
安らかで静かな心は、自分の人生のすべての部分を訪ね歩くことができる。これに対して、多忙な人間の心は、まるでくびきをかけられたかのように、振り返って背後を見ることができない。そうして、彼らの人生は、深い闇の中に消えていくのである。どれだけの水を注ぎ入れても、それを受けとめて蓄える容器が下に置かれていなければ、なんにもならない。それと同じように、どれだけたくさんの時間が与えられようと、それをためておくものがなく、ひび割れて穴のあいた心からもれていくなら、なんの意味もないのである。」(セネカ 中澤務=訳『人生の短さについて 他2篇』光文社古典新訳文庫)

私の他愛のない過去のエピソードを読んだ誰かが、懐かしさを覚えたり、少しほっこりしたり、くすっと笑ったり、こんなことがあっても一応頑張って生きている人がいるんだなと思ってもらえたらありがたいという思いで、ブログを書きました。もし、少しでも気になったタイトルや絵の記事があれば、気軽に読んでもらえればと思います。