小学生の頃、夏休みになると、祖母の家に一泊二日で泊まりに行った。祖母の家には、私と年の近いいとこがおり、その子と遊べるということで、この行事は私にとって夏休みの心おどる行事の1つであった。
どこの祖父母の家でも同じかもしれないが、祖父母の家の生活サイクルというのは普段のサイクルと少し違っていた。具体的にいうと、祖母の家では、夕方4時頃にお風呂、5時半には夕食、8時には就寝するというもので、普段の生活に比べて全て前倒しのスケジュールで進んだ。そういった違いも私にとって新鮮な体験であった。
私が小学3年か4年の頃だったと思うが、祖母の家に泊まりに行ったとき、おやつにすいかが出されたことがあった。私の家では、すいかは三角形のとがった部分が上になるように一口サイズに切られた状態で出てきて、緑の皮の部分を手で持って先っぽからかぶりついて食べるというスタイルであったが、祖母が出してくれたすいかは、一口サイズに切られておらず、上からかぶりついて食べるには底面積が大きすぎるので、スプーンですくって食べるほうが食べやすかった。
このため、私はスプーンを使ってすいかを上から下へと食べていったが、下のほうへ行けば行くほど甘さがなくなっていき、最後のほうはほとんど甘さがないので、赤い部分がまだ少し残った状態までスプーンですくって食べた後、スプーンを置いた。しかし、これを見とがめた祖母が、「まだ食べる部分がある。赤い部分がなくなるまで食べなさい。」と言ってきた。赤い部分が全部なくなるまで?? 家ですいかを食べるときは、いつもこれくらいで終わりにしていたので、驚いた私は、いつもはこれで終わりにしており特に注意されたことはないと反論したが、祖母は頑として私の主張を認めなかった。それで私は仕方なく、味がほとんどない部分をスプーンでほじくって口に入れ、すいかが瓜の仲間であるという事実を否応なく確かめながら、全て白色になるまで食べたのであった。
祖母は、このすいかに限らず、食事を残すことも許さなかった。米一粒には八十八の神様が宿っていると言って一粒残らずお米を食べることを求めた。私の家では、「お腹いっぱいなのに無理して食べるのは健康によくないし、嫌々食べるほうがむしろ食べ物や作ってくれた人に対して失礼である」という風に教えられていたので、普段親から言われていることと違う、一体どちらの言っていることに従ったらいいのかという思いもあり、祖母の方針に内心少し腹を立てていたが、反論しようものなら、戦時中は食べるものがなくて少しの物でもありがたかったという話を皮切りに、戦時中の祖母の長い体験話が始まるので、祖母の家では無理にでも残さず食べるようにしていた。
今から振り返ると、もちろんこれはどちらが正しいというものではなく、その人が育ってきた環境がその人の考えやこだわりを形成するということの例証に過ぎない。現在、私自身は、食べ物は必ず残さず食べなければならないとは思っておらず、すいかについては赤い実がまだ少し残り全部白色になっていなくてもごちそうさまをしている。ただ、もちろん祖母の考えにも一理あったと思っているし、なによりも、戦争が終わって数十年という歳月が経ってなお、当時の体験が祖母の食事に対する考え方にまで影響を及ぼしていたのだと思うと、戦争体験の凄まじさを想像せずにはいられない。私は戦争を知らない世代であり、リアルに想像することは難しいが、一泊二日の生活の中で祖母からそのような教えを聞かせてもらうことができ、残さず食べるという体験をさせてもらえてよかったと思っている。

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