私は、小学6年から塾に通うようになった。その塾は自宅から徒歩や自転車では通えないほど離れた場所にあったため、週に2回、バスに乗って塾へ通っていた。また、その塾は、夏休みや冬休みの講習を、豪華なホテルの会議室を借りて開催していたため、私は、夏期講習や冬期講習の期間中、毎日、地下鉄を利用して通っていた。当時は小学生である自分が1人でバスや地下鉄に乗って通っていることが、どこか大人になったような気がして誇らしく感じていたこともあり、塾通いを苦痛とは感じなかった。
人間の記憶とは不思議なもので、前後のことは全然覚えていないのに、そして特に印象に残ることがあったわけでもないのに、どういうわけかある一場面だけが妙に記憶に残っているということがある(皆さんもそういうことないですか?)。
そんな断片的な私の記憶の1つに、塾の帰りにバスターミナルの建物の中でバスを待っている光景がある。当時小学6年生だった私は、建物内の長いすに座り、塾のテキストが入ったリュックサックを脇に置いてバスをただじっと待っていた。今でもまぶたを閉じると、バスターミナルの黄色い電灯の光、こげ茶色のくたびれた皮製の長いす、大きなガラス張りの窓を通じて停留所に入ってくるバスの情景が浮かんでくる。
そして、バスを待っている間に私が考えていたことで、今でも覚えているのは、自分はこの先どうやって生きるべきかということであった。親に言われるまま塾に通い始めたその時期に、私はぼんやりと自分の将来について考えるようになったのであった。自分がいかに生きるべきか、生き方の正解のようなものを探し始めている自分がそこにいた。今から振り返ると、その時、私は思春期の入口に立っていたのだと思う。その後、私は思春期を通じて生き方の正解探しを続けて迷走することになるのだが、このことについてはもし機会があればまた書きたいと思う。
