父は、オーナーの返答に激怒した。「私はお金を払ってカニを食べに来ている。私は三杯酢をつけてカニを食べたいと思っている。お金を払って自分のものになったカニをどのように食べようと私の自由ではないか。なぜあなたにカニの食べ方まで指図されなければならないのか。いいからつべこべ言わずに三杯酢を持ってこい。」父はだいたいこんなことを述べた。
しかし、そのオーナーも頑固な人で、「それならカニを食べなくて結構。調味料をつけてうちのカニを食べられるくらいなら食べてもらわないほうがいい。お金はいらないからカニを食べないで欲しい。」というようなことを言った。これに対し、父は、「分かった。それなら食べない。こっちはただおいしい物をみんなで好きにいただこうと思ってやって来た楽しい旅行中に、一体何のプライドかこだわりか知らないが、食べ方を指示されてまで食べるつもりはない。」と言い、私たち家族に行くぞと号令をかけて席を立った。食堂は静まりかえっていた。私は目の前のカニに別れをつげて席を立った。こうなることはもうずいぶん前からわかっていたような気がした。
部屋に戻った私たちに父は、カニを食べさせてあげられなかったことを謝り、どうしても我慢ができなかったと付け加えた。結局、その日の夕食は近くのスーパーだったかコンビニで買ってきたお弁当を宿の部屋で食べることになった。私は、口論を聞いている時は心がとてもつらかったが、夕食がカニから弁当に変わったことは特に残念ではなかった。私は子供のころ、総じて食べることへの興味が薄く、遊ぶことへの関心が強かった。そして、旅行の夜はいつも夕食後に部屋に戻ると、家族みんなでトランプやドンジャラ(手持ちのパイの絵柄を合わせる麻雀のルールを簡単にしたボードゲーム)や将棋やオセロなどたくさんのゲームをして遊んだ。今回の三杯酢の一件で夕食の時間が大幅に短縮され、ゲームの時間が早まったので私はむしろうれしいくらいであった。
今から振り返って思うと、父にはもう少し柔軟性を持って生きられなかったものかと思う一方で、父は決して自分や周りが見えていない人ではなかった。そう考えると、父は自分が周囲との調和を乱していることをわかったうえで、自分が信じるとおり行動していたのかもしれない。自分にはそんな生き方はとてもできないが、父の生き方には父なりの美学があったかもしれないと最近よく思う。いずれにせよ、これが我が家で後々まで語り継がれることになった事件の一部始終である。旅行って本当にいろいろなことが起きるものですね。
