三杯酢をください(前編)

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私の父は旅行好きな人で、ゴールデンウィークや夏休みなど休日が続くと、よく家族旅行に出かけた。そして、これは誰しも多かれ少なかれ経験していることだと思うが、旅に出ると必ずといっていいくらい何かのハプニングに遭遇する。今回はそのハプニング事件簿の中から1つの事件をご紹介したいと思う。

私たち家族が泊まった宿は、宿の形態としては「民宿」にあたるもので、通されたのは狭い和室であった。チェックインを済ませて部屋で少し休憩をとった後、宿の浴場へむかった。その浴場は、浴室の中央に狭い浴槽が置いてあるだけで、シャワーもなく、浴槽のお湯を桶で汲んで頭や体を洗わなければいけない形態であったように記憶している(ただし、このあたりの記憶は曖昧であり確かではない)。要するに、部屋もお風呂もお世辞にも居心地がいいとはいえなかった。私は、旅行で泊まるところはできるだけ快適なホテルが好きだったので、この宿に到着してがっかりしたのだが、この宿を予約していた父からすれば、このような施設の状況は想定内であった。というのは、この宿の売りは夕食に出てくる豪華なカニ料理であったからだ。

夕食時刻となり、食堂へ行くと、指定の席に通された。他のお客さんも何組か来ており既に食事を始めていた。テーブルの前にはカニが並べられていた。そのボリュームはやはり宿の売りとして紹介されているだけあって素晴らしいものであった。私は、カニが大好きというわけでもなかったが、おいしいと思う食べ物ではあったので、少し気分が上がった。

さて、私たちは着席し、ドリンクを注文した後、いよいよカニをいただくことになったのだが、三杯酢がないことに気づいた。三杯酢とは酢、醤油、みりんを同じ割合で混ぜて作る調味料のことであり、我が家では、カニは三杯酢につけていただくの習慣となっていた。それで、父が給仕の人に声をかけて、三杯酢がないので持ってきてほしいと伝えた。その給仕の人は「少々お待ちください。」と言って下がった後、戻ってきて、「三杯酢はないので、何もつけずにそのまま召し上がってください。」と回答した。この返答に父の顔色が変わった。私は嫌な予感がした。きっと母も兄も同じであっただろう。父は、「三杯酢がないなら作ってほしいのだが。簡単に作れると思います。いつもうちでは三杯酢でカニを食べているので三杯酢をつけて味わいたい。」と伝えた。この時の父の口調はまだ丁寧なものであったと思う。

すると、給仕の人は再び奥へ下がっていき、今度は厨房から、がっしりした体格にあごひげをたくわえたオーナーが出てきた。その風貌はどことなく熊を思わせた。やって来たオーナーは、父に対し、「うちのカニは何もつけないで食べるのが1番おいしい食べ方なので、何もつけずに食べてほしい。」とぶっきらぼうな言い方で言った。私は、その瞬間これでもう今日の食事は終わったと直感した。そして、その直感は的中した。(後編へつづく)

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この記事を書いた人

日本の片田舎で、妻と子と暮らす40代の男です。
私が子どものときに起きたいろいろな出来事をブログ形式で投稿しています。気になるタイトルや絵(私が描いています)の記事があれば気軽に読んでもらえるとうれしいです。

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