私が小学生の頃、学校が終わると、習い事がある曜日以外はほとんど毎日、決まった何人かの友達と一緒に遊んだ。遊ぶ場所で1番多かったのは、私の家の近くにある公園であった。そこで、鬼ごっこをしたり、野球をしたり、ポートボール(公園にバスケットボールのゴールがないので、ゴールに近づくと選手がゴール代わりになりボールをキャッチすることで得点となるゲーム)をしたり、冬には雪合戦をしたりと、とにかく夢中になって遊んだ。みんな遊ぶのが大好きだった。
日が暮れて辺りが暗くなってくると、誰からともなく「そろそろ帰ろうか」ということなって、まだ遊び足りないという物足りない気持ちとともに仕方なく帰路に着くのであった。その公園は住宅の中にあったので、帰る頃になると、いつも近くの家から夕ご飯を支度するにおいがただよっていた。
それから長い年月が経った。私は大人になり、日が暮れるまで外で遊ぶことはもうなくなり、その代わりに日が暮れるまで働くようになった。ある日、私がいつものように歩いて勤務先から帰宅しているとき、近くの家から夕ご飯のにおいがただよってきた。私はその時、懐かしさと寂しさの入り交じった言いしれぬ気持ちにおそわれた。なんでこんな気持ちになるのか最初はわからなかったが、多分それは、私が子どもの時、遊ぶのをやめて帰路につかないといけない時間帯に、いつも夕ご飯を準備する家々からただよっていたにおいと同じものだったからだと思う。においが私の少年時代の記憶を想起させ、思い切り遊んだ楽しさと遊びを終える寂しさを私の心によみがえらせたからではないか。
私は、郷愁ともいうべき懐かしい思いに包まれながら家路を急いだ。今日のうちの晩ご飯は何だろうと想像して歩く帰り道の中で、私は、においが記憶を喚起する不思議、郷愁を感じる人の心の豊かさ、そして、晩ご飯を食べに帰る家がある小さな幸せをかみしめた。

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