小学生の頃、私の家では、親戚(祖父母やいとこ)を自宅に招いて、冬にクリスマス会を開催したことが何度かあった。クリスマス会といっても、ケーキやご飯を一緒に食べるだけでの会ではない。私たち主催者側のほうで、プログラムを作り、ゲームや手品などの出し物を企画するのである。このため、父と兄と私(母は料理作りなどで忙しかった)は、前もって図書館へ行き、盛り上がるパーティーの出し物を紹介した本を借りて読むなどして企画を練った。
そうやって私たちが企画したプログラムの1つに手品コーナーがあった。手品をするのは主に私と兄の役割である。私は図書館から借りてきた手品の本を見ながら、家にあるもので準備ができて、かつ、うまくできそうな手品を選び、クリスマス会までに一生懸命練習した。当時は気づいていなかったが、私は子どもの頃、人を喜ばせたり驚かせたりするのが好きな性分だったようで、手品の準備にも熱心に取り組んだ。いろいろな手品を練習し、いくつか本番で発表したが、30年以上経った今でも覚えている手品の1つが、マッチ箱からコインが消えるというシンプルな手品であり、そのやり方はこうである。
まず、空のマッチ箱1個と10円玉1枚を手に持って、みんなの前に登場する。あいさつを終えたところでその場に座る。それから、お客さんに見えるように、マッチ箱の中へ10円玉を1枚入れて箱を閉じる。そして、箱を両手で包みこんで激しく振る。この時、呪文か何かを唱えると効果的である(と手品の本には書いてあった)。その後、箱を開けると、あら不思議、中の10円玉が消えているという手品である。
仕掛けは、長方形のマッチ箱の辺が短いほうの側面にあらかじめ切れ込みを入れておき、切れ込みが入った側を自分のほうに向けた状態で箱を振っているふりをしながら、切れ込みから10円玉を箱の外へ出し、あぐらをかいている自分の足のすき間あたりに落とす。このとき、10円玉が切れ込みから出ていったのをお客さんに気づかれないようにするのがポイントである。このため、立っている状態ではこの手品は成立せず、あぐらをかいて座った状態で、かつ、床がカーペットのようなコインが落ちても音がしないものであること(あるいは座布団を敷いて音がしないようにしておくこと)が必要である。また、手品の前にマッチ箱と10円玉をお客さんに十分見せながら(見せたという印象を与えながら)、切れ込み部分だけは見られないようにすることも重要である。手品終了後に足元の10円玉を回収する方法は正確に覚えていないが、座布団の色を10円玉が目立たない黒っぽい色にして立ち去る時に10円玉を乗せたまま座布団ごと一緒に持ち帰るのだったか、あるいは立ち去る時にお客さんに気付かれないようにさりげなく10円玉を手で拾って回収するのだったか、どちらかだったと思う。今から考えると、この回収行為にも相当な注意と技量を要するように思うのだが、記憶があいまいである。
私は、この手品を本番で見事に成功させて拍手をもらった。「種も仕掛けもございません。」と言いながらみんなの前で手品を披露するのは本当に楽しかった。人を驚かせたり喜ばせたりする楽しさがそこにはあった。先日読んだ本の中に、「ある行為が本当に好きかどうかは、その行為の結果でなくその行為自体に喜びを感じるかどうかで判断できる」というようなことが書いてあった。人が驚いたりするのは手品という行為そのものでなく行為の結果であると考えると、私は手品という行為そのものに喜びを感じていたわけではないということにもなりそうである。他方で、手品が人を驚かせたり喜ばせること自体にその本質があるとすれば、私は手品の準備をしている間中、みんながあっと驚く姿を想像しながらわくわくした気持ちで取り組んでいたので、上の基準からいっても、私は手品をすることが好きだったということになるかもしれない(だからといって今の私の職業はマジシャンではないが)。
いつか妻や子に向けて上に述べた往年の手品が通用するか試してみたいと思っている。そう思って、家にマッチ箱はあったかなと考えたり、子どもが驚いている姿を想像するだけで、私の胸は高鳴るのであった。手品って、披露する側もされる側もなんだかわくわくしますよね。
