数学の先生らしい先生

ブログ「数学の先生らしい先生」の絵

私が中学生の時に1年間クラスの担任だった先生は、30代前半の男性の先生で、教える科目は数学だった。その先生はとても厳しい先生で、服装がだらしなかったり、校則を守らない生徒に対しては、自分のクラスの生徒であるか否かに関わらず、容赦なく叱りつけていた。このため、私の通った中学の全校生徒に「ものすごく怖い先生」としてその存在が知れ渡っていた。どこの学校にもそういう先生が1人か2人はいるものだ。

その先生が教える数学の授業は一風変わったものだった。授業開始時刻になると、クラスの生徒全員が自席に着席し、教科書とノートを机上に置き、静かに先生が来るのを待たなければならない。私語は許されない。先生は、必ず授業開始時刻までに教室にやってくる。遅れて来ることは決してない。そして、チャイムが鳴ると同時に授業は開始される。授業が始まると、生徒は、両手はひざの上、顔は前を向いて、先生が板書しながら行う説明を集中して聞くことを求められる。このとき決してノートをとってはならない。あくまで両手はひざの上である。

そして、先生の説明が一区切りのところまで来ると、「よし」という先生の号令とともに、今度は、黒板に書かれた説明をノートにとる時間へ移行する。このとき、私たち生徒には、板書をノートに写さないという選択肢は認められていない。先生は、生徒たちの机の間を威厳を持って歩きながら、生徒が丁寧にノートをとっているかをチェックして回る。先生は「上手な字でなくても全く構わない。しかし丁寧な字で書かないと許さない。」と言っていた。確かに、先生の板書の字はお世辞にも上手な字ではなかった。しかし、とても丁寧に黒板へ記入された読み取りやすい字であった。

ノートをとる時間が終わると、再び説明の時間に戻る。このように、先生の授業は説明タイムと板書記録タイムの繰り返しにより進行する。他の時間帯として時々設定されたのは、教科書の練習問題を解く時間である。この時も先生は、生徒の机の間をゆっくり歩いて生徒の様子を確認して回る。仮に問題を最後まで解けていなくとも、先生が「止め」と言えば次の時間に移る。「止め」と言われたのに問題を解き続けることは許されない。生徒は、常にその時間帯において決められた行動をすることが求められる。

先生の中では常に時間がリジッドに管理されている。このため、先生の授業が授業終了のチャイムの後も延長されることは決してない。私が先生の数学の授業を受けた1年間を通じて、授業が1秒でも延長されることは1度もなかった。大抵の場合、授業終了時刻より少し前に授業が終わる。そこから授業終了時刻までは私語は不可であるが、静かにさえしていればノートを見返してもよし、解き残した問題を解いてもよし、その他数学に関することなら何をしていてもよい。

当時はその先生の授業内容や態度が「数学らしい」とは全く思っておらず、「厳格な先生による厳格な授業」という印象を持っていた程度であった。しかし、説明はわかりやすかったし、普段の授業では説明を聞きながらノートをとることに慣れていたので最初は先生の授業スタイルに面食らったが、慣れてしまえば、ノートをとらず手をひざの上に置いて先生の説明を聞くというやり方は、説明と板書にのみ注意を集中することができため、私個人は先生の授業を結構気に入っていた。

後年になって、数学が、証明なしに認められる公理から論理を1つ1つ積み重ねて結論を導いていく(そして、この論理的なプロセスにより1度完全に証明された定理は永遠に真である)という極めて厳密な学問であることを知り、また、より実際的で切実な話として、テストで自分が書いた計算過程の文字が殴り書きのために自分自身で読み間違ってしまい、それに気づかずに計算を進めた結果、間違った結論を導いてしまうという手痛い経験を積むにつれ、先生の授業方針や姿勢や態度そのものが、数学にとって大切な教えを含んでいたのだと気づいた。他の授業とは一線を画するぴりっと張り詰めた授業中の空気、黒板に丁寧に書き込まれてゆく数字や記号、そして、余計なことは一切言わず必要なことだけを簡潔にゆっくりと噛んで含めるように説明する先生の姿を思い出すとき、「数学の先生らしい」先生だったのだとしみじみ思うのである。

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